肺がんの末期で余命2週間と告知されたある患者さんの記憶

私の人生を変えてくれた方
その方のある一言で人生が変わりました。
私の人生を変えた患者さん

突然A氏は私の手を握り「今まで本当にありがとうございました。私はこんな素敵な病院でこんなに素晴らしいスタッフの方々に見て頂いて本当に幸せでした。本当にありがとうございました」と涙を浮かべながら言いました。

奥さんが大きな声でこう言ったのです。
「あなたと結婚できて本当に幸せでした。つらいこともあったけど一緒にやってきたお店は楽しかったし、あなたとの人生も本当に楽しかった。生まれ変わってもあなたと結婚したいと思っています。本当に本当にありがとう」

「本当に最後までお疲れ様でした。」

「あなたのおかげで私は看護師を続ける決意ができました。」

「そして、人生を悔いのないように一生懸命生きるということを学びました。」

「更に、家族を大事することの大切さを学びました」

私は、このような言葉を心の中で唱えながら処置を行いました。

肺がんの末期で余命2週間と告知された
ある患者さんの記憶

私には、今でも忘れられない患者さんがいます。
私の人生を変えてくれた方と言っていいかもしれません。
その方のある一言で人生が変わりました。
今回は、私の人生を変えた患者さんとのお話をさせて頂きます。

1、肺がんステージ4で入院してきたA氏

A氏は入院してきた時点で「肺がんのステージ4」の状態でした。

かなり転移も進んでいたので末期の状態です。しかし、70代前半のA氏は、お元気な方で肺がんの末期という印象は受けませんでした。

本人も「治療して元気になってやる!」というような意向を示している状況です。

家族も、「こんなに元気なのに肺がんの末期なんて」とA氏のがんを受け入れてはいない様子でした。

A氏は奥さんとの2人暮らし。若い頃から「金物屋」を夫婦で営み、子供達も立派に育て上げました。2人暮らしですが、子供達はA氏の家によく帰省していて仲の良いご家族でした。

治療方針としては、手術ではなく抗がん剤治療を行うことになりました。

2、抗がん剤治療の辛い副作用

A氏の抗がん剤治療は、4クール行うことになりました。これは、1クール毎に入院して抗がん剤を行う治療です。使用する抗がん剤によって何クール行うかは異なります。

1クール目は、まったく抗がん剤の副作用が現れることがなかったので「なんだよ!言われるほど抗がん剤治療なんて辛くないんだな」と平気な様子でした。確かに、抗がん剤の副作用が全くない方もいらっしゃいます。

しかし、2クール目(2回目の入院)の時は顔色が全く別人でした。頬がこけ、今にも吐きそうな表情を浮かべていました。話を伺うと、1回目の退院の後に毎日のように吐いていたそうです。食欲も湧かず3kg程体重も落ちたようでした。

2回目の治療は、本当に副作用に苦しんでいました。毎日のように吐き、食欲も全くありませんでした。吐き気止めの内服薬・点滴をしても全く効かないのです。

それでもA氏は「絶対に直してやる」という気持ちが強かったので最後まで諦めずに治療に望んでいました。

今思うと、奥さんを残して「死ねない」という気持ちがあったのだと思います。二人三脚で人生を歩んできた奥さんを誰よりも大事にしていました。

そのような尊い思いがあったからこそ、あの辛い抗がん剤治療の副作用に耐えられたのだと思います。

3、全ての治療を終え退院。しかし・・・

そのような辛い治療でしたが、A氏はなんとか全ての治療を終えました。奥さんも治療が終わったことに安堵の表情を浮かべていました。今後は、通院で様子を見ていくという方針です。

元気とまではいきませんが、A氏は嬉しそうな表情で退院していきました。

しかし、がんは実に残酷です。

それから数ヶ月すると、A氏は再び入院してきました。検査によってさらに進行していることがわかりました。

今度は脳転移(脳メタ)まで引き起こしていたのです。脳転移を起こすと生存率が一気に下がると言われています。

A氏は、以前入院していたときとは別人のようになっていました。

誰に話しかけられても心を閉ざし、病室のカーテンも全て締め切ってしまうようになりました。誰とでも元気に話していた頃の面影はどこにもありません。

がんが心を蝕んでいったのです。

私の父も末期がんの時、うつ病になり自殺未遂を繰り返しました。

その体験があったのでA氏の気持ちは痛い程わかりました。

A氏は、いつしか私たち医療者にも矛先を向け始めました。眼光はいつもするどく、少しのミスを見つけてはしつこく追求するようになりました。同室者との揉め事も頻繁に起こ

すようになっていきます。病棟の看護師長が話をしても一向にそれは変わりませんでした。

がんのショックや副作用などに、心が耐えられないというのはよくわかっています。

しかし、私達医療者も業務が忙しくそのような患者さんに手を焼くことがあります。

A氏もいつしか手のかかる患者さんの1人に挙がっていきました。丁寧に対応をしても、A氏の態度は変わりませんでした。

いつしか、必要時以外は誰も寄り付かなくなったのです。A氏もそれを望んでいるようでした。

4、脳転移の抗ガン剤も奏功せず。余命2週間の告知

A氏は、人を寄せ付けないようになってからも治療には励んでいました。脳転移に効果があると言われている抗がん剤治療を行っていたのです。

しかし、この抗がん剤は副作用が強く出るのでA氏も苦しんでいました。特に、骨髄抑制(免疫力が弱くなる)が強くでる抗がん剤なので頻回に肺炎を繰り返していました。

いつしか、A氏は酸素を装着しないと歩くこともできないような状態になりました。
こんなに治療を続けていてもがんは全く良くならなかったのです。

そして、担当医から直接A氏本人に余命宣告が告げられました。

余命は「2週間」です。

あまりにも短い余命でした。

5、余命宣告からの変化

当然、私達はさらにA氏の言動が悪化すると思っていました。

しかし、A氏は全く逆の言動をするようになりました。

クレームのようなことは一切言わなくなり穏やかになったのです。

更に、誰に対しても「ありがとう」と言うようになりました。

そして、私は人生を変える一言に出会ったのです。

 

6、看護師を辞めようとしていた時に出会った運命の言葉

A氏の一言を話す前に、私の当時の心境をお話しておかなければなりません。

私は、父の死から看護師になりました。

会社員を辞めて看護学校に入学し看護師となったのです。看護学校時代は大いに理想や希望を抱いていました。

しかし、看護師という現実は思い描いていたものとは全く違っていました。

上下関係が厳しく、女性の先輩看護師の方に「てめえ!いい加減にしろ!」と言われたことは1度や2度ではありません。出来ないレッテルが貼られてしまうと病棟での居場所はどこにも見当たりません。

今思うと確かにできない看護師だったと思います(笑)

とにかく、仕事も辞めたいと思っていました。実際、このA氏の時期に辞めることも決まっていました。そんな状態で私は仕事をしていました。とにかく早く辞めたいと思いながらです。今思うと、とても恥ずかしいですね。

ある日、夜勤でA氏を受け持つことになりました。たしか、余命宣告を受けた一週間後くらいだったと思います。私が、血圧などを計りに伺うと穏やかな表情をされていました。

なにか悟ったという表現がいいかもしれません。

一通り観察が終わったのでその場を去ろうとすると「すみません」と呼び止められました。

すると、突然A氏は私の手を握り「今まで本当にありがとうございました。私はこんな素敵な病院でこんなに素晴らしいスタッフの方々に見て頂いて本当に幸せでした。本当にありがとうございました」と涙を浮かべながら言いました。

私は、あまりに突然のことだったので正直驚いてしまいました。驚きと同時にある思いが芽生えました。それは「数ヶ月もすれば私はここを辞める」ということです。それなのにこの患者さんは私に感謝をしている。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。そして、その気持ちを丁重に頂きながらその場を離れました。

夜勤中もその出来事を忘れることができず考えていました。夜勤が終わってもずっとです。

「なんでA氏は急に穏やかになったのだろう?」

「2週間しか生きられないという感覚はどんなものなのだろう?」

「私にかけてくれた言葉はどんな意味があったのだろう?」

そのようなことをひたすら考えていました。

そして、私はある1つの考えに辿りつきました。

A氏は自分の余命を聞かされて「死を受け入れた」のだと言うことを。

今までの人生に感謝し、そして、最後にこの病院で死を迎えられることに感謝しているということ。

あれは心からの感謝の気持ちの言葉であったことに気づかされました。

そして一番大事なことに気づいたのです。

そんな素晴らしい病院で働いているということを。私が働いていた病院は、日本でも有名ながん専門病院でした。がん看護をするために全国から志の高い看護師が集まってきます。教育もとても熱心な病院で、セミナーや勉強会は毎日のように開かれていました。患者さんからの評判も良く、働いていると言うだけで「凄いですね」と言われる病院でした。自分も「がんになったらこの病院に入院したい」と思える病院でした。私はそんな素晴らしい病院を辞めようとしていたのです。

辛さに耐えることができずに逃げようとしていました。本当に逃げたかっただけなのです。

そして、私は決めました。

どんなに辛いことがあろうとも逃げるのはやめようと!

がんから逃げずに正面から向き合っているA氏から学んだのです。

次の日に看護部長に「辞職撤回」を申し伝えました。とても驚いていましたことを覚えています。

話は長くなりましたが、私はA氏の一言でもう逃げることを辞め、看護師を続けることができたのです。

あの一言がなかったら今の自分はいなかったと本当に思います。

7、どんどん衰弱していくA氏

A氏は、余命宣告されて10日後くらいからどんどん衰弱していきました。ご飯を食べる量も少なくなり、入院前の体重と比べると10kg以上減っていました。

また、活動量もだんだんと減少して車椅子がないと移動できないようになりました。少し動くだけで息が上がってしまう為とても苦しそうな日々が続いていました。

A氏はそれでも穏やかな表情で過ごしていたのです。

相変わらず誰に対しても「ありがとう」という言葉を絶やしませんでした。しかし、A氏はとうとう起き上がる体力もなくなり寝たきりの状態になりました。

食べることが出来なくなっていたので点滴が行われていました。

意識も徐々に落ちてきてあまり話すことができません。

A氏は、声掛けにわずかに反応しますが1日の大半は寝て過ごしていました。

ある日私は、日勤が終わってからA氏の部屋に訪れました。次の日が夜勤だった為「もうお会いできないかもしれない」と思ったからです。A氏に声掛けをすると無反応でした。

もう意識レベルが相当下がっている様子です。最後に、反応がないだろうとは思いながら「明日夜勤で来ますね」と声をかけました。すると、「じゃあそれまでがんばらなきゃ」と小さな声で言ったのです。私はびっくりしながらも 「はい。待っていて下さいね」と手を握ってその場を後にしました。

8、A氏の死、妻の愛

そして、次の日の夜勤を迎えました。

正直、A氏に「もうお会いできないだろう」と思っていました。しかし、A氏はまだ病室にいたのです。A氏の部屋に行って「今来ましたよ」というと「待っていました」と本当に小さい声で答えてくれました。家族も総出で付き添いをされていましたが、暗い表情を浮かべる方、身の周りのことを精一杯されている方など思い思いの「最後の時」を過ごされていました。

そして、朝9時頃とうとう呼吸の回数も減り 「危篤状態」となりました。すると、奥さんが大きな声でこう言ったのです。

「あなたと結婚できて本当に幸せでした。つらいこともあったけど一緒にやってきたお店は楽しかったし、あなたとの人生も本当に楽しかった。生まれ変わってもあなたと結婚したいと思っています。本当に本当にありがとう」

A氏はこの言葉をしっかりと聞いていたと思います。

涙を一筋流して、そして、息を引き取りました。

私は、ずっとその場にいたのでその場面を見ていました。

A氏がいなかったら看護師をやめていたこと。

A氏の妻の愛。

私は、そんな思いが駆け巡ってその場で声を出して泣いてしまいました。

医療者としては失格なのかもしれません。

しかし、私は涙を止めることはできませんでした。

A氏の顔は本当に穏やかでした。

家族に囲まれて幸せな死を迎えられたのではないでしょうか。

死に様はその人の「生き様」が現れると言いますがその通りの光景だと感じました。

私は、A氏の死後の処置をさせて頂きました。

涙は出てきましたが、

「本当に最後までお疲れ様でした。」

「あなたのおかげで私は看護師を続ける決意ができました。」

「そして、人生を悔いのないように一生懸命生きるということを学びました。」

「更に、家族を大事することの大切さを学びました」

私は、このような言葉を心の中で唱えながら処置を行いました。

最  後  に

私はその後、死に物狂いで努力して病棟での信頼を得られるようになりました。

先輩などに無視されているようなどん底の状況から這い上がったのです。

つらいことは相当ありましたが、そんなときも必ず「A氏から学んだことを大切しよう」という思いで乗り切っていきました。A氏がいなかったら本当に今の自分はいないと思います。

逃げる人生で終わっていました。

自分が心臓の病気で色々な困難があったときにも乗り越えられなかったと思います。

運命の出会いだと感じています。

A氏のご冥福をお祈りしています。

最後まで読んで下さりありがとうございました。

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